1月1日・52-01
経費削減と省エネをダブルで実現できる商品とサービスを提供しています「経費削減ドット東京」のオフィス高橋です。
日々のお仕事でお忙しい事と思いますが、せっかく四季の有る日本にいるのでしたら、その四季折々の歳時記にふれて見てはいかがでしょうか?
いつも聞いている言葉や意味を、分かり易くご説明させて頂きます。
今日の投稿は少し長くなりますが、是非ご確認下さい。
《和風月名》
カレンダーには1月、2月という数字のほか、睦月、如月という旧暦の和風月名が記されているものも多いです。
和風月名に風情を感じるのは、その月にふさわしい呼び名だからこそです。
月の異称には様々なものがありますが、最も一般的なものを覚えておくとよいでしょう。
「睦月(むつき) 1月」
仲睦まじい月。正月に家族や親戚でなごやかな宴を催し、むつみあうことからつきました。
「生月(うむつき)」が転じたという説もあります。
《二十四節気》
「二十四節気」は太陽の動きをもとにしています。太陽が移動する天球上の道を「黄道(こうどう)」といい、「黄道」を24等分したものが「二十四節気」です。
「黄道」を夏至と冬至の「二至」で2等分
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さらに春分と秋分の「二分」で4等分
↓
それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬の「四立」を入れて「八節」とする
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一節は45日で、これを15日ずつに3等分し「二十四節気」とする
↓
さらに5日ずつに3等分し、時候を表したものが「七十二候」
「二十四節気」は、毎年同じ時期に同じ節気がめぐってきます。
そして、節気の間隔が一定で半月ごとの季節変化に対応できるので、天候に左右される農業の目安として大変便利なものでした。
季節を知るよりどころでもあったため、天候や生き物の様子を表す名前がつけられ、今でも年中行事や事項の挨拶など色々なシーンで使われています。
季節は太陽の動きが影響します。
暦には大きく分けて、太陽の運行をもとにした「太陽暦」、月の満ち欠けをもとにした「太陰暦」、太陽の動きを太陽と月のめぐりを取り入れた「太陰太陽暦」があります。
太陽が移動する天球上の道を「黄道(こうどう)」といい、「黄道」を24等分したものが「二十四節気」です。
「太陽暦・太陰暦・太陰太陽暦」
現在、日本を含め多くの国で使われている暦は、古代エジプトを起源とする「グレゴリオ暦」で、太陽の運行をもとにした「太陽暦」です。
地球が太陽をひと回りする周期を1年とするもので、季節の流れに忠実ですが、月のめぐりとは無関係に進むので、月のめぐりに影響される潮の動きや動植物の変化がわかりにくいのが難点です。
日本で「太陽暦」が採用されたのは、明治6年(1873年)。
それまでは、「太陰太陽暦」を長い間使っていました。そこで、新しく採用された暦を「新暦」、古い暦を「旧暦」と呼ぶようになりました。
「太陰暦」では、太陽の運行による季節の変化と根本的に合いません。
また、「太陰太陽暦」も、厳密にいうと年ごとに季節と月日にずれがあり、年によってはひと月ぐらいずれるので、季節の目安になりにくいものです。
そこで、古代中国で考案された「二十四節気」を暦に取り入れ、季節の指標にしたのです。
地球上の生き物は、太陽と月のもとで生きています。
太陽の傾きが暑さ寒さに影響し、月の巡りが潮の満ち引きや大潮小潮をもたらしますが、動植物はこれらの変化に合わせて成長しているので、暦はただ単に日付を追うものではなく、生きる指標でもあるのです。
旧暦の「太陰太陽暦」は古代中国を起源としており、7世紀に日本に伝えられ、何度も改良が重ねられました。幕末から明治にかけて使われていたものを、「天保暦」といいます。
「太陰太陽暦」には、太陽と月のめぐりの両方が取り入れられています。
月の満ち欠けをもって1か月となりますが、月が地球の周りを一巡するのは29.53日なので、12か月で354日となり、「太陽暦」より11日短くなります。
すると、月のめぐりだけの「太陰暦」では季節がずれてしまい1月なのに夏の暑さになってしまうこともあるので、「太陰太陽暦」は32~33か月に一度うるう月を入れて13か月とし、そのずれを解決しています。
「旧暦と新暦のずれ」
旧暦から新暦への移動により、「旧暦」の明治5年12月3日が「新暦」の明治6年1月1日になりました。
このため「新暦」ではおよそ1か月季節が早くなり、桃の節句に桃が咲かず、七夕は梅雨の最中という具合に、ずれが生じるようになりました。
そこで、ひと月遅れで行事をしたり、「旧暦」の日付で考えたりする場合もあります。
「二十四節気と季節感のずれ」
2月初めに立春を迎え、暦の上では春ですがといわれても、なかなか実感がわきません。
この原因は、「二十四節気」が古代中国で作られ、文化の中心地だった黄河流域、今でいう華北地方の気候をもとにしているからです。
華北地方は東北北部と同緯度の寒冷地で、大陸性気候と島国日本の気候では、時として季節感にずれが生じるのです。
もともと「二十四節気」は太陽の動きをもとに作られているため、「旧暦」(太陰太陽暦)でも「新暦」(太陽暦)でも変わりはなく、移行するわけにもいかないのです。
「二十四節気」は、半月毎の季節の変化を示していますが、これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが「七十二候(しちじゅうにこう)」です。
「二十四節気」と同じく古代中国で作られました。
「二十四節気」が古代のものがそのまま使われているのに対し、「七十二候」は何度も変更されてきました。
日本でも、江戸時代に入って日本の気候風土に合うように改定され、「本朝七十二候」が作られました。
現在主に使われているのは、明治時代に改訂された「略本暦」のものです。
ちなみに「気候」という言葉は、この「節気」と「候」からできています。
<1月5日頃>【小寒:しょうかん】
池や川の氷も厚みを増し、寒さが厳しくなる頃です。
この日を「寒の入り」といい、寒さの始まりを意味します。
そして、小寒と大寒を合わせたおよそ1か月を「寒中」「寒の内」といい、寒中見舞いを出す時期とされています。
《七十二候》
「二十四節気」は、半月毎の季節の変化を示していますが、これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが「七十二候」です。
「二十四節気」と同じく古代中国で作られました。
「二十四節気」が古代のものがそのまま使われているのに対し、「七十二候」は何度も変更されてきました。
日本でも、江戸時代に入って日本の気候風土に合うように改定され、「本朝七十二候」が作られました。
現在主に使われているのは、明治時代に改訂された「略本暦」のものです。
<1月1日頃>【雪下出麦:ゆきわたりて、むぎのびる】
雪の下で麦が芽をだす頃です。
浮き上がった芽を踏む「麦踏み」は日本独特の風習です。
<1月5日頃>【芹乃栄:せりすなわちさかう】
芹が盛んに育つ頃です。
春の七草のひとつで、7日の七草粥に入れて食べられます。